開業のお知らせ
2009年2月11日の建国記念日を期して、
東京・明治神宮前にて「わもん道研究所」を創業いたしました。
一人でも多くの人に、本当の自分を取戻し、
命の躍動感を味わって頂くことを目的としています。
何か感じることがあったら、迷わずアクセスしてください。
聞く力は全ての謎を解き明かします。
2009年2月11日の建国記念日を期して、
東京・明治神宮前にて「わもん道研究所」を創業いたしました。
一人でも多くの人に、本当の自分を取戻し、
命の躍動感を味わって頂くことを目的としています。
何か感じることがあったら、迷わずアクセスしてください。
聞く力は全ての謎を解き明かします。
心とは全ての因果の塊です。
決して個人的な経験だけではありません。
この世に存在する、あるいは存在した、そしてこれから存在する。
全ての出来事の塊です。
すべての波動はいつも、今ここに届いています。
ニューエイジ心理学などで取りざたされる、
全てを知っているアガシックレコードとは、
自分の心そのものです。
素晴らしいことですが、恐ろしいことでもあります。
人は自分の心に振り回されてしまいます。
その心とは途方も無く大きい存在なのです。
因果はただ存在するのであって意味はありません。
ただ因果のバランスから感情が生まれ、
はじめて因果に意味と連続性が生まれます。
人は感情という引力で因果に囚われて自由を失います。
感情の引力を断ち切って、自分の心から解脱したとき、
本当の安心と信頼はやってきます。
そして離れれば離れるほど、自分の心が見えます。
そのスケールの途方も無さがわかり始めます。
一つ一つの因果がわかり始めます。
あれこれと思いを巡らせたり、何かを求めたり、
それらは因果を紐解く探求のプロセスです。
そして心の中を彷徨う時間です。
私の時間は終わりました。
長い間、無念無想を理想として生きてきました。
今私は、念と想という大陸の端に立っています。
断崖の先には無という海が何処までも広がっています。
全ての思いを置き去りに、「えいっ」と飛び込みます。
無念無想。
私は自分の理想を生きます。
もうこれ以上、私に関して語ることはありません。
在るのみです。
PS.
ブログの更新はこれで最後にします。
長い間ありがとうございました。
両親との関係が完全に正常化しました。
以前は接触するだけで、心が身構えていました。
話す以前から拒絶していました。
それはどうしようもない自然な反応でした。
それが全くなくなりました。
心が微動だにしません。
たとえ疲労などで自分のエネルギーが落ちていても、
その心は磐石だとわかります。
相変わらず現象は相違と対立ばかりです。
でも心は調和と融合です。
私の一方的な変化です。
でも双方に変化が現れています。
今は両親の存在がただただ可愛いです。
切なく、逞しく、
懸命に自分を生きる姿が愛しいばかりです。
大きな課題をクリアしました。
あらゆる問題は自分が作り出している想念です。
解決方法は沢山あります。
心理分析、哲学、宗教、占い、霊能、スピリチュアアル、、。
しかし根本的な解決はたった一つしかありません。
無限とつながり、自分のエネルギーを上げることです。
不安、恐れ、葛藤、不満、、、。
何ものも寄せ付けない、怒涛のエネルギー放出。
それしかありません。
人の心は想念の塊です。
想念が問題ではなく、想念が揺れる事が問題です。
雑念とは想念のゆれです。想念の揺れが止まるとき、
それが空です。
想念の揺れは自己信頼の不足から生まれます。
人はそれぞれ、全く違う次元を生きているので、
他人の意向に合わせる事が出来ない事も沢山あります。
無理に合わせる必要はありません。
受け入れるも受け入れないも自由自在です。
大切な事は自己信頼を維持して、想念を乱さないことです。
現象に関わらず、ぶつかることなく、静かに通りすぎます。
私は何よりも自分の心に従います。
実際にその様に生きてきました。
あちらこちらにぶつかり満身創痍です。
瀕死の状態です。
しかし私は私の人生を尊いと感じます。
だから他人の人生の尊さもわかります。
私の人生には私だけのノウハウに満ちています。
永遠にこの時空に刻まれます。
私は全ての人が、私と同じように、
自分の心に忠実に生きるべきだと思います。
そういう社会を作りに来たと思っています。
これは私の傾きです。
真理は人の数だけあります。
私はそういう人だと言うことです。
受け止める人の問題ではありません。
私はその様に人を見るだけです。
一方的に発信しつづけます。
自分の心に従うと、ほとんどのことは上手くいきません。
それでも自分の心に従います。
自分を知るほど、自分の心の闇を知らされます。
闇を照らす灯りが自己信頼です。
深く深く、本当の自分と出会い続けます。
そして従い続けます。
何処までも。
何色にも染まる事ができ、何色にも染まらない。
そんな無色透明なエネルギー体になりたいと思います。
それでもこの世に生きる限り失わない個性があります。
自分は完全に自然と一体化して透明なとき、
他者からは私だけの色が見えます。
それがもっとも自分らしいありかたです。
何者ともぶつかることなく調和して、
見事に自分のパフォーマンスを発揮します。
私は私の思う自分を手放し、無色透明な存在に徹します。
何色にも染まり、何色にも染まらず、
私に見える他の色を際立たせる力になります。
それが私が目指す社会そのものです。
人は認められるために生きています。
他人に認められたい、、。
自分で自分を認めたい、、。
それが全てといえます。
それは完全な存在にも関わらず、
不完全に扱われることから生じる欠落感を充当するためです。
表現は千差万別です。
欠落の物語がその表現を決定します。
その表現が個性です。
私は欠落感が大きいため、
他人に認められることで充足する道を放棄しています。
他人の評価を気にしていたら、生涯かけても間に合いません。
自分で自分を認めることに全てを賭けています。
それが自分で切り開いてきた道です。
絶対の自信があります。
人から認められることを放棄すると、
人から認められたい他人の言動が見えます。
その個性を形作った欠落の物語も見えます。
私の最大の欠点は、
自分の道に自信があり、全てを賭けているために、
自分と同じ基準で人を計ってしまい、
他人に認められようとする人の個性を、
未熟な在りようとして認識してしまうことです。
その切ないまでの認められたい思いこそ人なのです。
そして私もその切なさの中にあるのです。
他人を認められないのは、切なさと切なさが、
ぶつかってしまうからです。
ここが今の私の限界点です。
自分と他人を隔てている壁です。
世の中という混沌を直視せず、バイアスをかけている自我です。
この壁の中に、私の根幹的な人間認識である、
上記に記載した欠落の物語も入っています。
壁を破るときが来ました。
全てを解決するその場所へ進みます。
沈黙により随分と心境が変わりました。
といってもやっている事は、今までと何も変わりません。
トレードは日経225先物から、外国為替に転向しました。
私は生活が流動的なため、
24時間稼動している外為市場はとても魅力的です。
契約している証券会社が、実際のトレードと全く同じ環境の、
シュミレーションソフトを提供しているため、
そちらでシュミレーションをしています。
異変がありました。
日経225では無敵の強さを誇っていたシュミレーションで、
勝てません。
あるいは日経225先物のシュミレーションの記録自体が、
自分に都合よく改ざんしていたのかもしれません。
ほとんど無意識にほんの少し、身に覚えがあります。
そのほんの少しで勝負は決まります。
今度のソフトは全くリアルに記録されます。
これが私の実力だと理解します。
一番やりたいやり方で、一切の躊躇無く、全開でトレードします。
すると、めちゃsめちゃ弱いです。
本トレードなら一日で破産できそうです。
これがマーケットというニュートラルで多元的な波に、
欲望の心が反応して作り出した敗北という結果です。
この反対の傾きを、どう作り出すかです。
わざと負けに行きます。
するとそこそこ勝てます。
勝ちたい気持ちで一杯になっていた、勝ちの領域が空になり、
勝ちが流れ込んでくるようです。
しかし自分のパラドックスを納めることが難しいです。
変わりに無心に動いてみます。
まあまあ勝てます。
自分でトレードを支配している感覚があります。
しかし無心といっても無心ではありません。
やるからには勝ちたい、
やはり納まらないパラドックスがあります。
ひとつはっきり解かります。
負けるつもり、あるいは無心で勝負にでると、
一番怖いと感じるリスクをとります。
それは勝とうと思っていたときには、
勝ちたい気持ちに隠されて、見えなかったリスクです。
そして本当のチャンスです。
そこに勝利のスイッチがあるようです。
このリスクをとると、とても疲れます。
今の私では集中力を維持することが出来ません。
もっともっと自分の心を照らして、
認識力をあげる必用があります。
その為にトレードを続けます。
これが今の私の立っている位置です。
ありがたいソフトに出会いました。
この世は何処までも相対的です。
絶対意識をいくら高めても、それは変わりません。
決して万能ではありません。
むしろ、自分の特殊性が高まり、多くの能力が低下します。
それらは要らないものとして手離さないと、足を引っ張ります。
意識のゾーンをかえる時です。
今、今への集中を一層高めます。
沈黙により、一気に集中力が高まりました。
新しいステージに入りました。
私のなかに金欲、性欲、色欲、名誉欲、権力欲、、。
いわゆる世俗の煩悩に満ち満ちた領域があります。
ここの満足度は0%です。
これは辛いです。
そして心を揺さぶります。
一度魅惑されると、欲しい物が手に入らない、
シックな気分にかられます。
諦めればいいのですが、諦めたら生きる意味を感じません。
話は飛びますが、私は全ての人を対等に見ています。
しかしながら、
白人がたどたどしい日本語で話すだけで、親しみを感じます。
アジア系の外国人が流暢な日本語を話しても、
白人と同じようには感じません。
この卑屈な自分に気が付いても、どうにもなりません。
しかし本当の平等を信じているから、
不平等な自分の想念の構造を直視できます。
そしてハッキリとわかる事があります。
もし私が本当の私になりきる事が出来たら、
心から光が溢れ、煩悩の苦しみも、
卑屈な差別意識も消え去ります。
それらは、生命普遍の十全感を奪われた現れに過ぎないからです。
私はこの自分の不完全さを責める気はありません。
完全なプロセスのなかの不完全な一面だからです。
そしてこの不完全さは私だけの、完全への道しるべです。
不完全さがもたらす圧力を用いながら、本当の自分に帰ります。
そこには世俗の全てを手にしても到底追い付かない、
溢れるばかりの幸福があります。
人をそのままに直視できる明るさと調和があります。
その領域に一気にもっていきます。
頭が追いつきません。
無念無想に徹します。
ブログの更新をしばらく止めます。
みなさんお元気で。
ではでは。
信じる力を投入することで、
既成概念の混乱を整理する事ができました。
しかし、実戦では信じる力は余り役に立ちませんでした。
信じるという言霊のスピードでは、今についていけません。
火事で家が燃えようとしている時に、
梯子を作っているような感覚です。
既成概念が混乱していると、足を引っ張られます。
信じるとは、混沌に直面し混乱する既成概念を納める道具です。
必要な力ですが充分ではないようです。
トレードで窮地に立つと、心が軋みます。
汗がどばっと出てきます。
意識にノイズの塊が出来ます。
そこが既成概念のゾーンだとわかります。
しかしその下には無風の空間があります。
その無風の空間に全意識を集中させることが、
今の課題であるとわかります。
そこでは全てが止まっています。
エネルギーを送り出すという感覚もありません。
そういった、手ごたえや、意図や、意識の偏りがない状態です。
その状態に達したときに、
体の中心にバスケットボールほどの球体を感じます。
以前は針の先ほどだった、私の全てを知っている場所です。
随分と大きくなっています。
球体を球体のまま感じます。
結構難しいです。
うまくいくとそれだけでワクワクし、嬉しさが込み上げてきます。
その集中力で勝負します。
それをやりに生まれて来たと思い出しました。
ぐるっと回って基本に戻りました。
信心を固めるために、イメージをはっきりさせます。
私の中に無限の叡智とエネルギーがあります。
私のその事実を信じる力が、
無限のエネルギーを全てに送り出します。
マーケットはこの世のエネルギーのプールです。
私が送り込んだエネルギーの一部がそこに溜まります。
マーケットは奪おうとするものから奪い、
与えようとするものに与えます。
私は全てに、そしてマーケットに、エネルギーを送り続けます。
私がマーケットに送り込んだエネルギーは、
資金として取り出せます。
取り出した資金は、現実社会に送り出します。
そして経済化された現象を活性化していきます。
目に見えないエネルギーの流れから、
目に見えるエネルギーの流れへ、
渦巻きを作りだします。
わたしのやることは唯一つ、信じることです。
押し寄せる苦難は全て、信じる力を養う道具です。
人はもって生まれた自分の一部しか、承認されません。
自分からも、他人からもです。
究極的には自分が作り出した、既成概念からです。
未承認部分が影となって不安を作り出します。
そして未承認部分が創造の領域でもあります。
未承認部分を作り出すことが、命に宿った使命といえます。
未承認部分から不安を感じる限り、創造は上手くいきません。
そこで人は神を作り、全てを委ねることで不安を打ち消しました。
信仰のもたらす揺らぎの無さが、創造を根底から支えます。
こうして人は暮らしを支え、社会を進歩させてきました。
しかし私の頭脳は信仰を受け入れません。
いかなる神話も、既成概念の範疇にしか、
感じることができません。
そして教義のもたらす排他性の窮屈さがたまりません。
私は自分で感じる真実だけを紡いできました。
そして今の理論に達しました。
それは私には信頼できる真理です。
しかし、現実の現象の確かさの前に、ゆらいでしまいます。
ここには信心が必要です。
いままで信心を避けていました。
信心は真実を隠すからです。
しかし真実を作り出すために、ここから先は信心を使います。
信じるものは自分の中にある無限です。
トレードの最中は不安と疑問の集中豪雨にさらされます。
しかしそれが強いほど、信心が強まります。
開放感と十全感のなかで浮遊します。
24時間365日、信心を崩さない熱心な宗教家の法悦感と、
同じ感覚であると直感します。
あるいは窮地に立って、ひたすら神に祈る心境かもしれません。
一つ違いがあります。
私は何ものとも取引していません。
完全な自由です。
なにをしようと、どうあろうと自由です。
神に祈ることさえも自由です。
全ての源が私であり、信心が力を引き出します。
新しく決めたトレードスタイルは、
雲を掴むような挑戦に感じます。
理論を手放し、運に全てを賭けるわけです。
数学の大数の法則を無視するわけではありません。
目に見えない、因果を信じるわけです。
その不確かさを確かさに変えるために、
全てを賭けて望む選択をしています。
しかしそれでも雲を掴むように感じます。
だれもやったことが無い道を開くとは、
こういうものなのかもしれません。
しかし、ちょっと違う気もします。
仮に月への宇宙飛行を思い立ったとしても、
いまの私の感覚よりは確かなように感じます。
必要な資金と、人材を投入し、理論と試行錯誤を繰り返せば、
やがて到達することが、出来そうな気がします。
むしろアフリカでうまれ、世界にひろがたった人類の、
創世記の壮大な旅路ににています。
彼らは何を信じて旅をしたのだろうか、、、。
私はもう試すつもりはありません。
やると決めています。
それならば、見えない因果があると証明する実験ではありません。
あるものを用いるだけです。
宇宙旅行に科学技術があるように、
私の挑戦には、見えない因果があります。
そう感じる必要があります。
まだ私はそのレベルに達していません。
しかしそこが最大のポイントのように思えます。
私には無限の力があることを、
全てはエネルギーの交流であることを、
マーケットと私のつながりを、
全てと私が一つであることを、
絶対意思の確かさを、
それらを動かしがたい事実として確信することです。
私が今まで生きて見てきた事実の裏側に見た、
もう一つの事実です。
そしていまは虚構です。
その虚構を事実として信じる。
太陽が昇るのと同じくらい、確かなこととして信じる。
虚行に信じる力で命を与える。
それが私の仕事の本質のように思えてきました。
いままで信じるという言葉は使いませんでした。
なぜなら信じる必要もない当然を、相手にしていたからです。
しかしここは私が担当する未開拓領域です。
虚構を信じる必要も無い、信頼の事実として機能させる。
その為に信じる力が必要なのです。
見えない因果に意識を集中し、
全てをその位置からみるようにします。
事実があると仮定して、実験で証明するのではありません。
事実を意思の力で作り出すのです。
そう思うと命をかける価値があります。
人柱となって事実を作ります。
ワクワクします。
力が沸いてきました。
いま一番大切なことは、揺らがないことです。
何も無い空間に、自分ひとりで山を作ろうとしています。
まったく見当違いのことを、しているのかもしれません。
心のどの部分を使うか、試行錯誤しています。
思いのままにといっても、思いは無数にあります。
どれをどう使ったらいいのか、さっぱりわかりません。
試行錯誤しても答は永久に出てこないと、わかります。
試行錯誤する限り、迷宮を彷徨いつづけます。
断じて進むしかありません。
何の根拠も、手がかりもありません。
だからこそ、断じる必要があるとわかります。
何の保証もない決断です、リスクは私の人生です。
ならば100%納得できる道を選びます。
それは命と引き換えにする価値を感じるものです。
私は絶対意志の発露に全てを賭けます。
相対世界に反応することを止めます。
それは根拠のある思いに従うことをやめ、
根拠のない思いに従うことを意味します。
その根拠のない思いも、心の色々な場所にあります。
どれがどうということはありません。
自分の境地が、納得できるコンディションであれば、
その時の根拠のない思いに従います。
納得できないコンディションであれば絶対に動きません。
コンデションが整うまで待ちます。
エネルギーも意思も、内側から外側への一方通行です。
出しっ放し、やりっぱなしです。
相対世界のことは相対世界に任せて、
自分の人生は絶対世界の中で終始させます。
その価値の大きさと意味が、
未知と対峙する心の揺らぎを、完全にとめてくれます。
今日は相場環境が厳しく苦戦を強いられました。
またオペレーションミスが相次ぎ、ペースが乱れました。
その中でいくつか発見がありました。
まず、勝ちたい気持ちを手放す開放感です。
心の重石が外され、エネルギーが自由に放射されます。
素晴らしい快感です。
いままでどれほどの重圧を背負っていたかと思います。
しかし、苦戦しはじめると、勝ちを求める気持ちが強くなります。
途端に意識にノイズが走り、心に重石がのしかかります。
楽になりたくて、動きたくなります。
しかしこの状態で動いてはいけないとわかります。
戦況が苦しいときにこそ、
上記の心境を維持することがポイントです。
また操作ミスから、ダメージを大きくしてしまいました。
再発防止策を色々考えていましたが、それが集中力を落とします。
それだけでなく、ミスをしないように色々考える行為自体に、
意識の周波数を落とす性格があります。
以前、ミス撲滅を徹底的に進めたことがありますが、
ミスは一向に減らないし、トレード自体も振るいませんでした。
ミスをしても、そのことを忘れ、
自己信頼の維持に集中することが
一番のミス対策といえます。
そんなこんなで、以前であれば大負けしていた、
相場環境とミスの多発でしたが、
普通の負けでカンベンしてもらえました。
まだまだ先は見えませんが、
心の色を作っていくことだと感じます。
どうやって気持ちよさを作り、それを表現していくか。
気持ちよさをオピニオンとします。
私にとってトレードは、一体感を養う最高の時間になりました。
たった一回のトレードでも、自分の成長を実感できます。
とくに困難な状況、厳しい相場環境、不遇のミス、、。
それこそが超信頼力を鍛える最高の機会です。
自分を阻害しているエネルギー体のありかが、わかる時間です。
それを迂回するように道を開きます。
困難に出会うたびに、開放されていきます。
一つ一つ自由になります。
母との関係は随分とよくなりました。
表向きはあまり変わりませんが、感じる波動が変わりました。
ちなみに、もともとそれほど関係が悪いわけではありません。
一方で課題が浮き彫りになっています。
母のコミュニケーションパターンは、
否定を前提とした、要求がほとんどです。
私は本能的にそれを拒絶します。
私の拒絶はパブロフの犬です。
母からのコンタクトは内容の如何に関わらず、
内容を把握する前に、反射神経で拒絶します。
母が打ち込んでくる、攻撃的波動に情緒を乱され、
情報を正確に受け取ることが、出来なくなっています。
この両者の関係が、理想的な親子間でつながれている、
エネルギーのパイプを遮断しているように感じます。
母は特攻隊の生まれ代わりを自認するほどの兵なので、
いくら嫌がられても、蛙の顔に何とやらです。
だから昔から何も変わりません。
全く悪気もありません。
むしろ愛情表現だと思っています。
こころの底はプリティーなのです。
このことは考えてもどうしよもありません。
考えれば考えるほど、私一人がムカつきます。
感謝の気持ちなど、びた一文感じません。
しかしながら、つまるところ母の攻撃性は私の攻撃性です。
私の一部であり、代々伝承され、
命を紡いできた力の、一つであることは明確です。
ただ、わたしの人生には効果的に機能しないというだけです。
私の心を強力な超信頼で満たし、影響を相対的に小さくして、
一切気にならないようになるしかありません。
先方をアマガエルの顔に例えるなら、
こっちはウシガエルの顔くらいに、なっちゃうしかありません。
しかも韓国で繁殖している、マムシに顔を咬まれても弾き返して、
逆に食べちゃう凄いヤツです。
私はウシガエルになります。
トレードの話題が続きます。
今までの私の弱さの原因が見えてきました。
今までのトレードでは不安そのものを表現していました。
トレードというゲームは、スポーツなどと異なり、
高度な技能は必要ありません。
従って意識のほとんどは、勝ちたいという気持ちに集中します。
その気持ちが強いほど、不安が大きくなります。
そして不安に魔が差し、葛藤が生まれます。
さらにトレードという自由な自己表現の場が、
葛藤を大きくします。
今までの私は不安と葛藤の周波数で、トレードを行っていました。
勝とうとして行動を画策すると、
必ずその裏側で不安と葛藤が疼きます。
この周波数ではマーケットとエネルギー交流もできません。
ほんの少しでも勝とうと思うその刹那、
意識の中に不安が走ることがわかります。
勝ちたい気持ちが作り出す、不安と葛藤の周波数。
それが今までの恒常的な負けという傾き作り出していました。
手法による優位性とい幻想を手放し、動作を固定し、
マーケットとニュートラルな関係を構築することですることで、
葛藤が止まり、そのメカニズムが見えてきました。
翻ってどうすればよいか。
意識を安心と信頼の周波数にあげるしかありません。
そしていかなる状況でも、
それを維持することが全てと悟ることです。
もっとも確実な方法は、無限である自分に成りきることです。
そしてエネルギーを出しっ放しにします。
そこでできた絶対空間で絶対意思を実行します。
トレードとは不安との戦いです。
しかし不安に打ち勝つ強い意志では、
乗り越えることができないばかりか、
壁が高くなるばかりです。
私の辞書から不安と葛藤という文字が消えるまで、
集中力を高めます。
ひたすら無心に、、、。
命の躍動感が聞こえてきます。
今日のトレードは大勝しました。
一回のトレードでは過去最大の利回りです。
相場環境が良く、最も理想的な展開で楽勝でした。
運が良かったです。
これで見通しがたった訳ではありません。
しかし考えてみると、新しい方法では運がいい以外に、
勝つ方法がありません。
私はずぅ~っと、運がいい必要があるのです。
今日の感覚こそが資産なのです。
その感覚を固定する必要があります。
マーケットは私に全てを与えてくれる恵みそのものです。
私のエネルギーをこの世の力に転換してくれる大切な場所です。
必要な資金を全て提供してくれます。
それが定められた私とマーケットの関係です。
ホンマかいな、、。と思います。
しかし、その揺れは禁物です。
そうなる以外の道は、私にはないのです。
これでやっちゃうしかありません。
もう何も試すものはありません。
ひたすら今のスタイルで突き進みます。
その為に、最も大切なことが、疑わないことだとわかります。
マーケットとのエネルギーのつながりを、
マーケットへの信頼を、
勝利がもたらす幸運と喜びの感覚を、
自分のに与えられた使命と可能性を、疑わないことです。
どれも形のないものです。
確かさを求めたり、疑いの想念に揺らぎます。
特に不利な状況になれば、諦めの気持ちが走るに違いありません。
その時に信頼を維持できるかが、最大のポイントになりそうです。
一つ確信できることがあります。
今のスタイルだと、非常に高い集中力を維持することが出来ます。
その境地はまさしく禅です。
そしてそれは私にとって最高の気持ちよさです。
これは実に微妙な分かれ目が存在します。
トレードの勝負は一瞬です。あとは非常に暇です。
ただただ値動きを見つめるとき、退屈が襲ってきます。
ここで気を散らすと、そこまでです。
ここでこらえて集中を維持すると、次の次元がやってきます。
この世のものではない、快感ゾーンです。
トレードでダンスを超える快感を達成したいとおもいます。
熱心な宗教家は日常の勤行(ごんぎょう)を怠りません。
トレードが私の勤行です。
とても幸せなことです。
それが確かなことです。
やるべきことがあるのに、やる気が出ないときがあります。
そんな時は、それがとてもストレスになります。
ストレスから逃れたくて、早くやってしまおうと思います。
しかし今は、
やる気が出ないときにやってはいけないと、確信します。
すべてはエネルギー交流です。
エネルギーの交流ができない時に何かをやっても、
期待する効果はあがりません。
ただ作業の負担があるだけです。
一方、エネルギーの交流は、とても楽しいことです。
一体感、充実感を感じます。
対象との間には無形のコミュニケーションがあります。
より仕事を楽しみたい。だから気分が乗らない時に、
とっておきの仕事を無駄使いしたくありません。
それと同時に、
より質の高いエネルギー交流、をいつでも出来る状態への、
コンディション作りの価値と必要性も感じています。
もっともっと楽しいことを沢山やりたいと思います。
ムリに形を作るのではなく、
楽しさや充実感を見つめて、
そこを大きく育てていこうと思います。
楽しくないことは絶対にやらない。
その決意から始まるとわかります。
明日から再び相場が始まります。
新たに決めたことがあります。
もうチャートを見ることはしません。
それだけでなく、マーケット情報をすべて遮断します。
情報に触れる限り、優位性を引き出そうとして、
バイアスをかけてしまいます。
私のトレードの師匠はマーケット分析を行います。
しかし分析結果で勝っているわけではありません。
それは話を聞けばわかります。
彼は分析を通して、
マーケットとエネルギーを交流しているのです。
それが彼の交流方法なのです。
私にはその方法で交流するセンスが宿っていません。
彼と同じ事は出来ますが、ただの作業です。
何も感じるものはありません。
私は私流の方法を見つける以外に道はないのです。
明日からは直感に従ってエントリーして、
あとは自分で決めたマネジメント方法に従って
利食いと損きりを正確に実行します。
理論上はイーブンの結果になります。
証券会社の手数料だけマイナスです。
しかしそれで初めてマーケットが自分を映す鏡になります。
今までは、中立なマーケットから優位性を引き出そうとして、
鏡の湖面を乱していました。
中立なマーケットと、中立なトレード手法、
これにより私を映し出す巨大な鏡が出来ます。
あとはどれだけ私がエネルギーをマーケットに送り込んだかです。
トレードの結果がそのバロメータです。
はっきりいってクレージーな考え方です。
しかし、わたしはこの方法を試すつもりはありません。
もうやり方を変えることはありません。
登ると決めた山は登るだけです。
建てると決めた建物は作るだけです。
たとえ破産しても、刑務所にはいっても、やりぬきます。
この方法を打ち立てることが、私の使命だとわかります。
私に敗北はありません。
命ある限り続けるからです。
なんの実績もないこの方法にここまで賭けるのは、
そこまで賭けなければ、道が開かないとわかるからです。
ほんの少しだけ確信があります。
そのほんの少しに全てを賭けます。
明日の結果が少し不安になります。
しかしその不安は無意味だとわかります。
明日の結果は、私の精神に何の影響もあたえません。
勝とうとするのでもなく、負けようとするのでもなく、
ただただ動く。
全てを任せ、全てを忘れ、ただただ無心に今ここにある。
自己信頼、全信頼、超信頼を極め、自分になります。
意識に無数の想念が突き刺さっています。
痛いです。
心の底とはとても柔らかい場所です。
生まれたての赤ちゃんの体のようにグニャグニャです。
そこに想念の柱が無数に突き刺さっています。
これが既成概念という巨大な構造物を支える基礎です。
否定される衝撃で穿ち、
怒りと悲しみのコンクリートミルクを注入して固めてあります。
軟弱な地盤が、頑強に固められています。
この存在が大量にエネルギーを失わせます。
勇気、元気、自信、やる気、幸福感、やさしさ、思いやり、、。
全てを損なう原因です。
それが見える位置にたったということです。
見えたときが、超えるときです。
先送りはありません。
全てを止めます。
体の動きを止め、思考を止め、感情を止め、
想念を止め、時間を止め、ただただじっとします。
気がついた時には想念の柱は消えていました。
体の中を照らす光が、一段と大きくなりました。
自分の存在がはっきりと実感します。
今、ここにあると。
既成概念も、怒りも悲しみも否定された衝撃も、あり続けます。
しかし、いまはその外側に立ち、
はるか彼方の空間を自由に進んでいます。
自分が龍宮の水がめになった気分です。
自分らしく生きようと、思ったことはありません。
自分らしさとは個性であり、発揮しようとするものではなく、
普通にしているときに、自然に現れる姿だと思います。
人はどのみち自分らしくしか生きられないのです。
自分として生きようと、思ってきました。
心のままに生きる。自分に課したテーマです。
思うままに、感じるままに。
しかし、それも違ってきました。
自分を知れば知るほど、
他人を知れば知るほど、
人は心のままにしか生きることが出来ないとわかります。
みんなみんな、思うままに、感じるままに生きているのです。
自分として生きるとは、自分として生きていると、
気がつく旅路ともいえます。
今の私の望みは、自分であることです。
全てを生み出している無限。
何も感じることはできませんが、その存在だけはわかります。
それが私の本体です。
その本体であり続けたい。
いや本体であると感じ続けたい。
それが私の生きる道です。
集中力と一体感が極まってきました。
あらゆるレンジの周波数を同時に感じています。
朝もやのようなきめ細かさで、静寂と共にここにあります。
意識を深めれば深めるほど、意識が柔らかくなり、
細かさがあがり、認識できる周波数も高くなります。
今のところ無限に先があるように感じます。
心配や、疑問や、否定や、怒り、の感情を感じると、
意識に硬直した部分が出来、痛みが走ります。
感じている意識層が一気に表面に上がります。
周波数も粗くなります。
以前はこの引力に意識が集まり、コンプレックス(複合体)を、
形成していたとわかります。
いまは意識が集まりそうなる瞬間に気がつき、
もとの深さと柔らかさに戻れます。
すべてとつながっていると実感します。
意識の表層は観念化され分断の世界ですが、
深層になるほど、境目が無くなり、合一していきます。
私の意識が全てを作り出していることが、実感できます。
そう思うと一層集中できます。
全てに同時に絶対肯定のエネルギーを送る事が出来ます。
特定の集団や人物に集中的に送ることも出来ます。
すべてに送ることも、一箇所に送ることも、
同じことだともわかります。
エネルギーは体の中心にある、無限の窓から取り出しています。
いくらあげても減りません。
あげればあげるほど流れがよくなり、元気になります。
想念はほとんど無くなっています。
わたしこそが無限の正体だと感じます。
霧がはれて本体が顕れた感覚です。
体の中で何かが渦巻いています。
わもん禅を通してハッキリとわかった事実があります。
それは自分が言葉を忘れ、想いまで忘れて、
相手の話に没頭したとき、
自分の想いが、相手の口から出てきます。
また最近は手放したときに、それが手に入る経験を頻繁にします。
本当に不思議な現象です。
しかしメカニズムは見えています。
想いがあるということは、その想いを作っていいる霊体が、
自分の構成要素として、組み込まれていることを意味します。
想いが叶わないのは、その霊体を自分の既成概念の檻に、
閉じ込めているからです。
欲するばかりで、現象の作りようがありません。
我を忘れて相手に集中しているとき、
あるいは、執着を手放し諦観に至ったとき、
既成概念は破られます。
このとき、閉じ込められていた霊体が、封印を解かれ、
自由に現象を作り出します。
私は霊が見えるわけではありませんが、
今の一如の感覚から自然に得られる洞察を、
文学的に表現してみました。
既成概念は自己信頼の強さに応じて破られます。
自己信頼の強さが自分の波動です。
自分の波動が現象を作り出しているとも表現できます。
それは無限とのコンタクト、エネルギー交流ともイコールです。
このメカニズムをトレードで応用することを考えてます。
一つ新しい事実がわかりました。
今までのトレードでは、打ち方を固定することを避けてきました。
無数の大きさの波が複合したマーケットに対し、
固定的な打ち方をすると、必ず打ち消され、
イーブンな結果しか得られないからです。
それはコンピュータによる検証でも明らかです。
従って、自分の感覚を研ぎ澄ますことで、
波から優位性を取り出そうと、
ここまで試行錯誤を重ねてきました。
そしてやるほど弱くなりました。
そして弱さの逆の強さがあると確信を得て、
その逆を掘り出すことにかけてきました。
しかしこの考え方では、同じことの繰り返しになりそうです。
どこまで行っても値動きに翻弄されてしまいそうです。
そこで新しく見えてきたものがあります。
値動きの認識とは、パラダイム構築にほかなりません。
値動きを起点にマーケットという既成概念を構築しています。
そしてその中で優位性を取り出そうとすることは、
自分の既成概念の中でウロウロすることをそのものです。
いくら俊敏に立ち回ろうとしても、
既成概念を破ることはできません。
それはどのような結果を生むかというと、
減算方式のデフレスパイラルです。
やればやるほど、深みに嵌ります。
そこで打ち方を固定することにしました。
固定することで、プラスは生まれませんが、
マイナスも生まれません。
それでいいのです。
プラスマイナスゼロ、
それが技術のもたらす最高パフォーマンスです。
マーケットとはニュートラルな存在です。
そこから優位性を引き出そうと画策することは、
バイアスをかけ、パフォーマンスを落とすだけです。
仮に優位性の反対のバイアスをかけようとしても同じです。
バイアスをかける限り、パフォーマンスは下がります。
ありのままのものを、ありのままに。
あたり前の事を、ミス無く正確に実行する。
それだけでも大変なことです。
それでようやくイーブンな結果をもたらす手続きを得る。
そう理解します。
技術とは作り出したものを表現する手段であって、
作り出すものとは違います。
作り出すものは認識パラダイム、即ち既成概念の外側にあります。
いくら認識物をいじってもマイナスが大きくなるだけです。
打ち方を固定するとは、建て玉の管理方法を固定することです。
ポジションを取ったあとは一定のルールに従って、
利食いと損きりを実行します。
いままも採用していた時期は何回もありますが、
今回は意外な効果がありました。
情報分析をしない私の手法では、タイミングが全てです。
あらゆる葛藤が利食いと損きりのタイミングにあります。
それがルールで整理されたことで、葛藤できなくなりました。
そのとき今までの葛藤が手にとるように見えました、
恐れ、迷い、不安、疑い、そして期待、、。
次々に飛来してきます。
しかしそれはルールの壁の向こうの出来事です。
一気に集中力が高まります。
無限とのつながりが、マーケットとのつながりが、
感じられます。
時たま雑念がやってきて、気をとられそうになります。
あるいは暇が押し寄せて、気を抜きそうにになります。
ここで奪われたら、つながりが絶たれる事がわかります。
全てを預けます。
強力な全信頼です。
心の色がありません。
今までに経験したことあがない、集中力の高さです。
自分が既成概念の中に囚われているとき、
ルールは自分を抑圧します。
しかし自分が規制概念の外側に立つとき、
ルールは葛藤から自由を守る防波堤となります。
そして葛藤に消費していたエネルギーが戻ってきて、
集中力を高めます。
つながりを強化する手段が一つ見つかりました。
私に物欲は皆無です。
やりたいことはあります。
それほど多くありませんが、煩悩から大志まで幅広く、
それぞれがかなり強烈です。
それを満たすためにここまで生きてきました。
欲の為に欲を捨てているのであって、
根本にある欲を捨てる気はありません。
それを捨てる時は死ぬときです。
ベストを尽くしているし、心のままに生きているので、
なんの未練もなく、この世に欲を置き去りに出来ると思います。
既成概念を超えたところに立つ今、
全ての欲は満たされることが自然であると感じます。
思うままに、感じるままに、
あらゆる欲を満たしていこうと思います。
不思議なことに、欲がもたらす執着を一切感じません。
ただ爽やかな期待感、ワクワク感、元気、勇気、、、。
ポジティブな感覚だけがあります。
欲があること自体が喜びです。
欲が満たされれば、もっと喜びが大きくなると思います。
満たされなかったとしても、今の喜びは変わりません。
手に出来ない苦しみは、
既成概念の中にあるものであって、
その外には微塵もありません。
私は全てが欲しいです。
その為に全てを与えます。
与えるのは徳のためではなく、欲のためです。
与えることもまた喜びです。
そもそも喜びしかないのです。
欲して喜び、与えて喜び、手にして喜ぶのです。
怒りや悲しみや苦しみは、
自分が作った既成概念の中だけのものです。
やることは唯一つ、
いつもいつも与えて与えて与えつくす。
それだけです。
マーケットの発する信号か、自分自身の発する信号か、
前者に従えばマーケットの波に確実に飲み込まれます。
後者に従えば人生が開きます。
両者は密接に関係していて、見分けることは容易ではありません。
しかし方法がわかっています。
無限とつながり、そのエネルギーで自分の心を照らすことです。
照らせば照らすほど、微妙な違いを認識できるようになります。
するべき事が手に取るようにわかります。
本当は直感に従うために、勇気は必要ありません。
当然のことをするまでです。
勇気は自分を信じることに使います。
その勇気が光をもたらします。
残念ながら今日は負けてしまいました。
しかし、満足しています。
この業界に足を踏み入れて以来、初めて味わう満足感です。
自分のベストを尽くすことが出来ました。
気持ちいいです。
今のベストを出し切ったことで、先にあるものが見えました。
何をしたら良いのかわかりました。
自分のスタイルが決まりました。
今日のスタイルを極めます。
もうこの方法以外で勝つことに、興味が湧きません。
トレードとは、市場分析でも、数字分析でも、
図形イメージに対する閃きでもありません。
エネルギーの交流です。
どれだけマーケットにエネルギーを注ぎ込むかです。
どれだけマーケットを無条件に愛するかです。
マーケットに全てを与えることが出来るかです。
私はサルサを踊るとき、全てを自由にする、
虚のエネルギーを放射できるようになっています。
わもん禅をするときも、その状態には至りませんが、
類似したエネルギーが出ていると感じます。
時間をかけて瞑想すれば、やはりその状態に近づきます。
その時は、我というものは一切なく、信頼と快感だけがあります。
虚という快感の海に、全てが同化し浮遊している状態です。
それとほぼ同じ状態に、トレードで達する事が出来ました。
その時はじめて、マーケットが発する信号でなく、
私の心が発する信号がわかりました。
その信号に従って掴んだ勝利は、
虚のエネルギーの一部を採集した感覚です。
あたかも、漁師が海から魚を得るが如くです。
チャートから得る情報は、海面の波に過ぎません。
いままで波にばかり気を取られていました。
結果である現象をいじくりまわして、
勝利を切り取ろうとしていただけです。
ダイナミズムは現象の向こう側に潜んでいます。
私の居場所は波を破った、海中の静寂にあります。
マーケットに踏み入れて2年半、自分の道が決まりました。
心の中に信号機があると感じます。
青色、黄色、赤色。
青色は一瞬です。
いままでのトレードでは青が認識できず、
あるいは認識しても確信がもてず、
黄色でポジションをとっていました。
再び青になること期待しつつ、結果として赤色で損切りする。
それが負けの黄金パターンです。
明日は青色と感じたら確信を待たずに、即ポジションをとり、
黄色と感じたら結果を待たずに、即ポジションを外します。
終始、青色の範囲でポジションを維持します。
黄色とは葛藤のゾーンです。
葛藤が始まる前に、勝負をつけてしまう作戦です。
青色から黄色へ、早ければ一秒もかかりません。
集中力を最大にして、心の声に耳を澄ませます。
明日からのトレードに怖さを感じています。
いい傾向です。
一切の優位性を手放しています。
丸腰でジャングルに踏み入れるような恐さです。
私は思ったように動けるのか。
動けたとして、いい結果がついてくるのか。
まだまだ未知数です。
いままで、この恐さを克服しようと、
何らかの優位性を探してきました。
確実に私に成果をもたらす、手ごたえのあるものです。
この恐さは不確実性の恐さです。
いつも否定されることと隣り合わせです。
丹田にある無限に通じる窓に心を向けます。
光が心の中を照らします。
不確実性のもたらす恐怖は、
不確実性のもたらす希望へとかわります。
日本海海戦における連合艦隊司令長官東郷平八郎は、
5時間にわたる海戦中に一歩も動かず、
無数の至近弾の水しぶきでびしょ濡れになった甲板には、
かれの足跡だけが乾いて残っていたといいます。
明日はそのくらいの不動心で望みます。
過去のトレード記録をひっくり返して分析してみました。
はやり、明白な事実が確認できました。
私はシュミレーションでは間違いなく常勝トレーダーであり、
実戦になったとたんに、カモになります。
あまりに弱いので、体制を立て直そうとして、
シュミレーションに切り替えると、とたんに強くなります。
手ごたえを得て、実戦に切り替えると、たちまち弱くなります。
データを分析すると、その傾向が面白いほどハッキリわかります。
やり方はその都度変えてみるのですが、
やり方の如何に関わらず、その傾向だけが浮き彫りになります。
トレードには沢山のセオリーがありますが、
セオリーにはすべて逆説があり、それもまた真なりです。
セオリーはすべて打ち消され、優位性はありません。
一般論で理論化できる範囲に、
勝利の女神は棲んでいないと判断します。
お金をかけても、かけなくても、私のメンタル面はかわりません。
そこまでは鍛えてきました。
まったく別の力学が明確に働いています。
おそらく、お金をかけることで初めて、
マーケットとエネルギーが交流するのだと思います。
そしてそのエネルギーの交流において、
私はマーケットからエネルギーを得る状態ではなかった。
そう判断します。
すこし視点を変えます。
ダンスやカラオケで最も一体感を感じ、
パートナーや音楽とシンクロしているときを分析してみると、
意外な事実がわかります。
それは合わそうと、していなということです。
音楽や気配は感じているのですが、
決してそれらに集中しているのではなく、
ただ自然に感じているだけです。
私は私自身とつながり、ただ勝手に体が動いています。
意図はほんの瞬間の閃きしかありません。
相手の動きや心、伴奏やグルーブを、
理解できているわけではありません。
それでも現象はピタリと一致します。
全てを知る必要はないのです。
必要最小限なことだけ、感じることが大切なのです。
あるいは、それぞれバラバラなことを、
しているのかもしれません。
それでも合う部分で合っていて、一つになっている。
それがもっともデリケートな感覚を分析した事実です。
一体感とは何ものにも囚われず、
マイペースが極まった状態といえます。
それぞれが各個に自分に集中することで、
結果的に一つになるのです。
これをトレードに応用します。
先ず第一に自分自身とのつながりを維持します。
現在のわたしは、丹田のあたりに無限に通じる窓を感じます。
そこを使って無限とコンタクトをとります。
自然に意識全体に光が放射されます。
そしてチャートをただただ見つめます。
あとは感じるまま躊躇せず、
ポジションを取りたければとり、外したければ外します。
今日はそれで上手くいきました。
しかし感じるままに動けたかというと、そうではありません。
否定されることを恐れ、確信を欲し、
結果ポジションがとれず、いくつかのチャンスを逃しました。
またポジションを取ったときに、否定されることを恐れていると、
否定されたときにそれを受け入れられず、
執着することで傷を大きくしてしまいます。
第二のポイントが見えてきました。
決して失敗を恐れずに、チャンスと感じたら即ポジションを取り、
決して成功に固執せず、ピンチと感じたら即ポジションを外す。
今までのアクションゾーンを時系列で前倒しする感じです。
この動作を瞬時に実行します。
ストレスを感じる前に動作を完了させてしまいます。
何事もなかったかの如く、心を波立てることもなく
速やかに実行します。
私の自己信頼はまだまだ未熟です。
しかし私は完成を待ちません。
トレードを通して自己信頼を養います。
勝ち負けも、当たり外れも、一切忘れます。
この動作と境地の完璧な達成だけを、
トレードの目的とします。
最初からそれが目的だったとわかります。
心のままにあること、心のままに動くことは、
本当に難しいことだとわかりました。
強力な自己信頼で心の中を照らさないと、
本当の心の声はきこえてきません。
心のこえが聞こえても、迷わず従うことはもっと難しいことです。
それは失敗したくないと思うからです。
失敗して否定されることを、物凄く恐れているからです。
日常的に人は否定されます。
だから否定に慣れっこになっています。
へっちゃらです。
それをタフといいます。
しかし本当にタフとはいえません。
心の声をベトンで固めて、
世間と感じているものに、順応している状態です。
あるいは真実から目をそらしている状態です。
遊びに興じる赤ん坊からおもちゃを取り上げると、
火がついたように泣き叫びます。
それが人が味わう、否定された衝撃です。
大人になっても、潜在意識下で同じ衝撃を受け続けています。
だから否定されるリスクは極力さけたい。
それが人の心理です。
まるで反発しあう磁石のように、
否定される危険を避けようとします。
それがリスクを回避しようとして、真実を直視できず、
恐れていたリスクそのものを経験してしまう、
人の行動パターンを生み出します。
何かを得ようとするものは、同等のリスクと常に隣あわせです。
リスクを恐れていては、欲するものに決して手が届きません。
それが欲しいものがそこにあるのに、手が届かない理由です。
リスクを乗り越えて行動を起こしても、結果は変わりません。
心理的にリスクを避けようとする限り、成果は逃げてしまいます。
これは人知を超えた法則といえるまでに正確に作用します。
否定された衝撃は、本人の生存本能とともに、
心の底の底に封じられています。
軟弱な心にコンクリートを流し込み、基礎工事を完了し、
既成概念という巨大なビルを建築します。
しかし、静かに確実に地の底から、人を動かしています。
否定されたくない!
その切なる想いが必死になって、
既成概念の枠の中に収まろうともがきます。
しかしそれは幻想です。
目を覆っていいるうちに、恐れていた方向へ流されます。
否定された衝撃。
このダメージとの付き合い方が、
全てといって過言ではありません。
相対的なこの世で生きる限り、決して避けることはできません。
心に鎧をまとうことで対処することを止めにします。
私は否定されることを、
泣き叫ぶ赤子のように恐れ嫌っていることを認めます。
そして強烈な自己信頼で、否定された衝撃をものともしない、
真のメンタルタフネスを作ります。
いかなる状況でも、微動だにしない磐石の精神です。
否定されない能力が力ではありません。
否定されても再び立ち上がる根性が力でもありません。
否定されてもめげない信念が力でもありません。
否定されて燃える反骨が力でもありません。
否定されることを恐れない堅固さが力でもありません。
そもそも否定されるか肯定されるかに興味が無い。
そんなゾーンがありそうです。
そこでは定められた一本道を、ただただ進むのみです。
私の中には否定された衝撃が、
ヒマラヤ山脈の如く蓄積されています。
先ずはそのことを逃げる事無く認識します。
誰への恨みもありません。
私の個性の一部です。
そのヒマラヤ山脈にも信頼を預けます。
ここから挽回するチャレンジに無上の価値を感じます。
ワクワクします。
自己信頼が不足しています。
圧倒的に不足しています。
自分への理解が全然足りません。
自分の大きさを本気で受け入れていません。
それだけ大きな伸び代を感じています。
途方もない大きさです。
果てしないエネルギーです。
体の中に光が放射されています。
今までロウソクで照らしていた心の中に、
室内灯が灯ったような鮮明さ、確かさを感じています。
それでも、まだ始まったばかりです。
最初のミクロの一歩を踏出したばかりだとわかります。
どこまで行くのか見当もつきません。
新しいステージがはじまりました。
これが私の行く道です。
一気呵成にすすみます。
勝負はどこまで、何もしないでいられるかです。
今感じているすべてを、そのままにしていられるかです。
自分を、他人を、人生を、世間を、全てを、
信じることが出来るかです。
想念は何かをしたがります。
頑張りたがります。
変えたがります。
工夫したがります。
良くしたがります。
有利になりたがります。
危険を回避したがります。
想念は止まっていることが苦手です。
少しで不安があると、動きます。
想念が止まった状態が空です。
氣が充満した状態です。
想念をとめることが出来るのは信頼だけです。
信頼は結果です。
手続きではありません。
信頼しようとするかぎり、まだ信頼に至っていません。
真の信頼とは信頼する必要もない状態です。
信頼するには、想念を止めることです。
想念を止めるには、信頼することです。
それ以上の表現は出来ません。
表現できないものが、その状態を作っています。
自己信頼とは超強烈なエネルギー源です。
全ての人の心の奥底で、この世とあの世をつなぎ止めている、
命そのものです。
どれほどの悲しみ、怒り、苦悩、絶望を背負っていても、
陽陽としたエネルギーで人生を、支え続けています。
それがわかりました。
どれほど苦しい人生でも、生きてきた、今の今まで、
心の奥底では、そのエネルギーを感じ、自分を強烈に信じている。
生きているとはそういうことです。
そうでなければ一秒もこの世にいられない。
それほどこの世は困難だともいえます。
しかし、すべての存在の中に、その自己信頼を感じます。
それは私にとって大きな希望の光です。
そのパワーを自分の中に見出しました。
丹田が強烈なパワーを発しています。
ずっとそこにあったとわかります。
それが私の本当の姿です。
一切の意図を持たず、ただただ感じ続けます。
突然に丹田が破れ、中から、光があふれ出し、
意識を満たしはじめました。
初めての感覚です。
それでもまだ満たされないものを感じます。
新しい光で、その満たされない心が、
はっきりわかったといえます。
表面上は、他人に対する、
イライラや、ムカつきや、認められない思いです。
それはその人が溜め込んだ、深い怒りと悲しみだとわかります。
ただただ見つめます。感覚が変化します。
そしてそれは、私の悲しみと怒りへとつながっています。
深く大きい物体が、わたの心に突き刺さっています。
先端の深さは計り知れません。
これが私と全ての、怒りと悲しみの根源だとわかります。
かつてはこの痛みを乗り越えようと、
努力し、ドラマを作ってきました。
しかし、今は痛みそのものを溶かす道を選択しています。
怒りと悲しみの原因は簡単にわかります。
この世にもって生まれながら、承認されなかった私の影たちです。
他人からも、私からも、認められなかった私自身の断片の、
悲しみであり、怒りです。
その存在も信頼します。
理由なく認めます。
存在することも、認められなかったことも、
悲しむことも、怒ることも、
ただただ見つめます。
怒りと悲しみは何処までも根深く、私に重圧をかけてきます。
十全感を大きく阻害しています。
気力や自信を打ち壊します。
それでもじっと見つめます。
不意にその重みから開放された位置に立ちました。
体の中が光に満たされ、外部にあふれ出ます。
認識力、十全感、信頼、自信、各段に上がります。
因果は因果として、何処までも私を苦しめます。
しかし、そんなことは遠い彼方の、どうでもいい出来事。
そんな深さに立つことが出来ました。
無重量空間に浮かんでいます。
体に力が漲ります。
既成概念の外に立ち、一如の感覚が強くなりました。
何から何まで、私であると実感します。
実は、これは大変なことだとわかりました。
古今東西の地上にある、
一切の否定や責めが、私への抑圧の原因になってしまいます。
自分の他人への否定、
他人の自分への否定、
他人の他人への否定、
それらを全信頼で打ち消さなければ、私は開放されません。
それらに感じる微妙な違和感、
それは私の超信頼の不足を示しています。
そのありかはわかりません。
心と体の奥底にひそかに息づいているようです。
えらい事になってしまいました。
見渡す限りの全宇宙から、
否定のエネルギーを抜かなければなりません。
最初からこんなに大変だとわかっていたら、
絶対にやりません。
この世に生まれてなんかきません。
もう一度やるかと聞かれたら、絶対お断りです。
しかし、ここまで来たからには、
このために生まれてきたと覚悟して、
全存在をかけてやります。
実は方法はわかっています。
すべてが自分であることを100%確信することです。
雨が降っても、槍が降っても、B29が爆弾を落としても、
この世には私しかいない事実を、完全完璧に受け入れることです。
一分の狂いも誤差も無く、
ピタリとそのまま、受け入れることです。
そしてその自分を、完全完璧に信頼することです。
全部が全部、何処までいっても、マイワールドなのです。
確信と信頼。
やることはそれだけです。
そして何もしないことが、それをやることだとわかります。
とても難しいことですが、一番簡単なことでもあります。
その簡単さを知ることがコツといえます。
実は、信頼という言葉さえも長すぎると感じます。
信頼のしの字の最初の点くらいで調度いいです。
とりあえず眠ります。
では。
ブログを書き始めてから一年たちました。
調度一年前、私は11日間連続で勝ち続けていました。
ところが毎日が薄氷を踏むようで、
勝利の感覚とはほど遠いものでした。
そして、ちょっとしたミスが大敗を招き、
コチコツ蓄積した一か月分の利益を、ふっ飛ばしてしまいました。
それがブログをはじめたきっかけでした。
やがて、ファンダメンタル分析や、テクニカル分析といった、
トレード技術による優位性の研究を手放し、
メンタル面の優位性だけで勝負する道を選びました。
できれば今日までに常勝のレベルに達したかった。
それが本音です。
しかし、実はもう勝てそうな気がしています。
いままでと感覚が違います。
今までは自分の優位性のありかが、わかりませんでした。
どうすれば勝てるのか見当がつかないということです。
それがわかり始めました。
心のどの部分を使えばいいのか、それがわかります。
超信頼を鍛えることで、自分の心の鮮明度があがり、
心の地図が前よりも、よく見えるようになっています。
あとは、一層の信頼を磨き、
その部分への認識力を更に上げること、
そして実際に表現する技法を確立すること、
その工夫だけだと感じています。
週明けの相場が楽しみに感じます。
すこし怖くもあります。
ワクワク。
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